蛻(もぬけ)

 認知症だった伯母が自分から介護施設に入りたいと言ってきた日のことはよく覚えている。


 一人暮らしの伯母の家にはそれまでもよくも通っていた。鍵をなくして家に入れないと連絡 があったり、もの盗られ妄想で呼び出されたり、迷子になって転んで救急搬送ということも幾 度となくあった。その度、妻と交代で駆けつけて、なんとかやり過ごしていた。


叔母は独立精神が旺盛で、接客業に誇りを持ち、50 年働いた。昭和の女性の生きにくかった 時代。しかも独身。家を建てるにも一苦労だった。銀行融資を受けるのに、3年通い続けてや っと説得できたという。その三鷹の一軒家に 40 年暮らした。何事も「わたし」一人で決めてき たという自負があった。


80 代になり、難聴でもあった伯母の認知症の症状はひどくなってきた。老いの不安を隠すよ うに強がり、暴言を吐くようになった。
「わたしはずっとここで暮らす」「わたしに指図するな」「わたしのものを盗るな」


そんな伯母がある夜、疲れ切った表情で「妹がいる介護施設に入りたい」とつぶやいた。


介護施設に入ってからは穏やかな日々が続いた。会いにいくたびに会話がおぼつかなくなっ ていった。相手の表情を見ることもなくなった。絞り出すように言葉を発していた。そして、 最後には「わたし」「わたし」「わたし」だけになった。それは必ず3回繰り返された。


「わたしは」と何かを宣言するのでもなく、「わたしに」と要求するのでもなく、「わたし の」と所有を主張するのでもない。名詞だけの「わたし」。続く助詞は消えていた。


その「わたし」が、どこに向けられていたのか。傍らにいて、その音が消えていく方向を眺 めるしかなかった。「わたし」と発することで、伯母は落ちつきを取り戻しているようにも見 えた。
空き家になった叔母の一軒家に掃除のために訪ねた。植木は剪定されず伸び放題。朽ち果て たザクロの実が庭に落ちていた。「蛻」という言葉をふと思い出した。抜け殻という意味と魂 の抜け去った体という意味がある。家を手放し、様々な執着が消え、「わたし」だけが残った 時が、叔母の「蛻」だったのかもしれない。

 

いつしか完全に言葉を失い、真夜中に施設の個室で眠るように息を引き取った。

 

施設に入る何年か前のこと。「これをあげる」と伯母は、持っていた補聴器のひとつを差し 出した。その補聴器が今回の「蛻」のモチーフになった。