作品「敷島」について
■意訳と誤訳
意訳は分断と対立を生み、誤訳はおかしみを誘う。
自分の主張のために、相手の主張をねじ曲げ意訳する。対立する者同士、同じ方法で攻撃しあう。SNS、特に最近のツイッターは、分断が深まるばかりでわかり合うことがない。
「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」
目で見たり耳で聞くことではない、「もののあわれ」を表現したものである。元々は本居宣長の個人的な心を歌ったものが、明治以降、軍国主義へと進む中、いつしか、繊細な大和心が、勇ましい大和魂に意訳されていった。
「翻訳する」は英語でtrancelate。trance(向こう側へ)、lat(運ぶ)こと。「大和心」を、日本の向こう側に運ぶとどうなるのか、人間の意を介さないGoogle翻訳を使って、太平洋戦争の関係国の言語に(誤)訳させ、また日本語に戻してみた。
■中央防波堤
敷島は、磯城(しき)が語源といわれる。崇神天皇が置いた都は実際には内陸にあったが、島や浜のイメージを伴う。
台場の青海エリアの先に、人工島がある。東京テレポート駅から、唯一通じるトンネルを抜けるとほんの10分で中央防波堤に着く。
埋め立てによって作られた、このゴミの島は、あと数十年、地面が固まるまで高いビルは建てられない、といわれている。大田区と江東区の間の帰属問題が解決するまで住所もなかった。人は今も住めない。ここにある海の森公園は東京五輪ではカヌー、ボートの会場となる。
バスを降りると、黒い塗装を剥がされ、赤く錆びついた街宣車が捨てられていた。
■LUCKY STRIKEとPEACEの間
白地に赤丸LUCKY STRIKEのデザインは日の丸とよく似ている。
1940年、日米開戦の前年、レーモンド・ローウィによってデザインされた。戦地での束の間の一服。LUCKY STRIKEをくわえる米兵の姿は戦争映画の中でもしばしば登場する。戦争を通して、強いアメリカを象徴するアイテムにもなった。
戦後、ローウィは日本のタバコPEACEのデザインも手掛けた。聖書のノアの方舟をもとに、平和の象徴、鳩がオリーブをくわえるマークを描いた。日本でのインダストリアルデザインの先駆けとなった。PEACEの鳩が登場して、日本の復興の物語と重なっていく。
■戦争とタバコ
戦前の日本では、戦費調達にタバコが利用された。日露戦争時に発売された、敷島、大和、朝日、山桜が有名である。名称は宣長の敷島の歌から取られた。
大当たりの意味のLUCKY STRIKEは、ひとめで分かるシンプルなデザイン。コンセプトも明確である。一方、敷島は、松や浜をモチーフに大和絵風に表現されてはいるが、そこに必然性はない。敷島の雰囲気だけは伝わる。
米軍の明確なコンセプト(作戦)と旧日本軍の雰囲気(情緒)の間で戦われたのが太平洋戦争ともいえる。神風特攻隊の編隊名も、敷島、大和、朝日、山桜であった。
黒く縁取られ赤い日の丸。米国の枷から抜け出せないまま、外からデザインされた平和(peace)の中で、日本は、今また新たな戦前に向かっているのかもしれない。